嫌な気持ちになることの意味

自分自身に起きることの全てに意味があると感じられるようになると、色んなものの見方が変わってくる。人から嫌なことを言われたり、嫌なことをされたり、辛い気持ちになったりとか。特にそういう強く感情を揺さぶられるようなことこそ、その人が成長するために必要なメッセージがそこにある。

自分だけでは自分のことは解らないから他人っていう存在がある。

周りにいる人を見るときに感じること、気になったことやなんかにも自分を知るヒントがある。物事の見え方はその人の意識次第だから。

ここ最近わたしに来ているメッセージは「他人と自分は違う」という境界についての意識を再確認しなさいよーみたいのが来てた。仲が良くなると、どうにも境界が無くなって相手の為にと自分を押し付けてしまうのがまだわたしの悪い癖としてあることに気付かされた。

相手はわたしではなく、その人独自の成長の仕方がある。ついつい仲が良いからと、相手を一人の人格者として尊重出来てなかったんだなって思った。勝手に同じ意識を持ったひとだと知らない間に勘違いしちゃってたんだよね。

自分がスッキリしたり思うように相手の意識をコントロールしようとしていたと思う。

こうやって書いていても気づくことはある。上に書いたことは、まさにわたしが私自身にやってることだなって。自分はこうあるべきだ!という押し付けを自分自身にやって、自分を「こうあるべき」にはめ込もうとしてたんだと思う。

自分が接する相手も、自分自身ももっと自由でいいんだよね。

自分が感じる「感情」は、全て自分の中に理由がある。嫌な気持ちになるのも嬉しい気持ちになるのも全ては他人や環境のせいじゃない。自分自身の「おかげ」なんだよ。

そういう事に気づくことを楽しむことが出来る、感謝できる自分自身が私は好きだなって思う。

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