愛され方と愛し方

怒られるかもしれない事を書くのですが、愛されることを知らずに育った人間は愛が解らないという言葉をよくきくんだけど、愛を与えられることが日常というか意識することがないくらいに当たり前にある人間も愛は解らないことがあると思う。

私は後者で、幼い頃からとても愛されて生きてきたと今では思っていて。他人から「愛される」ことを糧に生命を維持してきていたなと思うのです。

愛され方は私は生まれ持った宝だったんだと感じる。

とても過保護な両親の元を離れてからも、常に私の生活面や金銭面、精神面を支えてくれるパートナーが居て、何もできない私を護ることに喜びを感じてくれるような人にいつも恵まれてました。

私にとってはそれは、全く特別な感覚は無くて。相手が私に世話をやくのが当たり前くらいになると、相手が無機物みたいにみえてつまらなかった。

付き合った相手をいつも人間扱いしないので、私は妹と母からかなり嫌われてました…

恋愛はそういうものだと思ってたので、結婚した時には「この人がまた無機物に見えたらどうしよう」と怖かったし、恋愛の刺激がないと生きていけないと思っていたので、この先ずっと夫だけを好きでいなければならないんだって気持ちに絶望したりしてました(笑)

生きるためには愛という栄養がないと死ぬ…!!

と思っていたので、とりあえずアイドルにハマってみたりオンラインゲームで知り合った人とゲーム内恋愛したりして過ごしたり。

今考えると本当に病気だと思う…

30代に入って離婚したときは、理由を元夫に全て押し付けたけど本当は自由になりたかったのです。その頃も好きな人がいたし、もっとたくさんの人に愛されたいという願望があった。

だんだんと年齢的にチヤホヤされなくなってきて、それまで当たり前に満たされてた部分が減ってしまったような感覚だったのかもしれないです。

私はものすごく外向きの性格は良かったんだけど、パートナーや家族に対してはものすごく冷たくて、気分屋でした。ひたすら相手を馬鹿にするし、自分の思うように相手が動かないとブチ切れしたりしてました(笑)

今考えると、身内=自分自身だったんだなと思う。自他の境界がなくて、自分の周りに居る人は自分を喜ばせるために存在するNPCだと思ってたみたい。

人間として認めてなかったと思う。

わたしは好きになった相手が自分の所有物になってしまうと、自分の一部という認識なのでまたわたしが夢中になれる相手を探してました。

自分が所有できないもどかしさみたいのが「愛」だと思ってたんだと思う。

2年前に出会った彼は私とは真逆の人生を生きてきたひとで、愛を与えられずに孤独の中で「自分でやるしかないんだ」という環境から強制的に自立させられて生きてきた人。自己責任が当たり前で、人を信用しないようにして生きていたんだと思う。

彼はこれまで付き合ってきたひとたちみたいに私を甘やかさなかった。私がこれまで当たり前に思ってたことを相手にねだったり、こうしたらこういう反応が来るもの。と思っていたものを全て裏切ってくるので(笑)

私は彼から愛されている感覚が滅多に感じられないでいました。愛があるならこう考えるはず!私に対して気持ちがない!みたいのを繰り返しているうちに、去年の春に相手からフラれました(笑)

私は愛されることが当たり前だったから、愛が何か解らなくて愛の受け取り方も解らなかった。

彼は愛されたことが無かったから愛し方も愛の受け取りかたも知らなかった。

最近やっとお互いに素直になってたくさんぶつかって、理解しあってなんとなくだけど愛ってこういう事なんだなみたいのを感じてる。自分で自分を好きになれてきて不安を感じることも減ってきました。

安心してるから自分の今やるべき事にしっかり向き合える。私の土台を彼の存在が支えてくれてるような感じ。このまま彼の存在が当たり前になっていくなら幸せだなって思えるようになったよ。

 

コメントを残す