人は自分の知らない話には興味が無い、理解ができないことは怖い

めんどくさいとか、失敗したら嫌だとか、誰かから嫌なことを言われるとか。全部実は見えない未来に対する不安で、人は自分の理解を超えるものを怖がるし嫌うものだといいます。

哲学とか占いとかスピリチュアルに興味を持つには、何か自分が共感できるような、ソレに関係するような事を感じるようなきっかけが必要なんだと思う。

スピリチュアルを闇雲に否定して嫌うひとの心にあるのは見えないものに対する恐怖だといいます。騙されるのが怖いっていう自分に対する不信感もそこにはあるなと感じる。逆にスピリチュアルに傾倒している人は、自分が信じてるものを否定されると必死にそれを守ろうとして言い訳をする。その言い訳は自分に対しての不信感の現れで、それをかき消すために自分自身に言い聞かせてるんだと思う。

精神の安定、社会で生きていく中では現実性とスピリチュアルはどちらかに偏っていても生きづらいのです。

精神性を表すのは「火」

現実性を表すのは「地」

知性を表すのは「風」

感情を表すのは「水」

この中のどれか一つでも足りていないと、そこが生きづらさを生みます。人は人生で、この4つのバランスを取るために人と出会って成長をするんだよね。

これまでの時代は、男性は男性性の役割をして女性は女性性の役割をすることで自分の足りない部分を相手で賄ってきました。何かに依存する事で安定していた陰の時代。

月の魚座時代から、太陽を生きる水瓶座時代に今転換期にいます。陰を極めて陽に転換する。

他人を軸にして生きる時代から、自分に軸を持つ時代。

男性も女性もそれぞれが一つの個になって自分の力で自分を幸せにしていくために、依存ではなくシェアするんだと思う。自分に余っている能力で、誰かの幸せのお手伝いができる自分を創る。みんながそれぞれ自分の得意を活かしあってお互いの利益になればみんな幸せよね♪

そうそう、話は変わって人は解らないことが怖いってとこで思い出したんだけど。

「人の話に興味がない」ってのは大半の人がそうなんだということを知りました。

多分、人の話に興味を常に持って聞くことができるひとはその人の話している内容に興味を持つのではなくて、その人の中に自分自身との感じ方や考え方の比較とか。大きく言えば、分析をしてるような状態で聞いてることも多いんじゃないかな?と思った。

人は、自分が体験したことがない話には全く興味がもてないそうです。

ただの愚痴を聞かされることが苦しいのは、その相手が問題解決をしたくて相談してきているなら自分の経験や相手の身になるっていう「他人事」ではない状況ができるから話を聞くことができるんだけど、延々と愚痴を聴くだけのときってそこには自分が関わらないので興味が湧かないどころか「いや、あなたがこうすればいいよね?」みたいに相手が言いたい放題言ってるのに自分だけ我慢させられるというWin−loseが生まれるからだと思うの(笑)

だいたいにして愚痴を言っている本人は気づいてないけど、愚痴がでるということは聞いてる側がツッコミを入れたくなるような特大なブーメランが混ざってるわけで。その愚痴も同じ気持ちを持ってる部分があれば、自分もそこに関係が生まれるので興味が出るから聞けるし、なんなら一緒になって盛り上がることができる。

人は他人の話に興味は無いけど、自分の話をするのは好きだったりするので人に話をしたいなら相手が興味があったり体験したことがあるような話題で話すのがいいと思う。

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