政治批判と恋愛におもうこと。

今朝方に政治について

今の世の中になっているのは日本人が「日本を良くしたい」と思っている政治家を選んでこなかったからだ。

っていうようなツイートをみかけたのがきっかけ。で気づいたことがありました。

今の政権は、わたしからみたら結果はなんにしろ「日本を良くしたい」そういう思いから動いていると感じてる。その政権にたいして批判をしまくっている政治家さんたちも「日本を良くしたい」そう思ってるのは間違いないんだと思うのです。

自分は正しいとか普通だという意識って実は0か100か思考なんだなとも気づきました。

自分にとって正しいやり方が「日本を良くしたい」だから自分が思う通りに行動していない人間は「自分のことしか考えていない」

ここに自己中のからくりがあるな…と感じました。

ここで、実は「自分のことしか考えてない!」と他者批判をしている状態こそ自分のことしか考えることができていない状態なんだと気づきました。

この状態って、自分が認めるもの以外は認めない!と自分の価値観を守るために相手の価値観を侵害してる状態なんだよね。同じでなければ正解じゃないから否定して批判して相手のやり方を変えさせようとする「支配欲」

本来なら、相手の価値観という選択と自分の価値観という選択をした。というだけで、向かっているゴールは同じなのです。

「日本を良くしたい」そう思ってるから頑張ってる。自分の役割をやっていることは、やり方や形や軸になるものが違うだけでその気持ちは同じなのに、批判をしている人はなにをやっているのかというと、見る方向を間違えてしまってるんですよね。

自分のやり方があるなら、相手をわざわざ批判したり否定したりして蹴落とそうとすることに熱心にならずに、自分側の意見や力のある人間をしっかり育てて選択肢を増やせばいいのだ。

ようはさ、自己実現に向かうのに未来をみて自分の目的や目標を果たそうとしている人と、自分の目的や目標を果たすために未来じゃなくて相手を変えようとしてる人になっちゃってるんだよね。

そしてそれがすっかり目的、ゴールになってしまっているので小さな世界しか見えなくなってしまう。相手が思い通りにならない時に人は執着して支配しないと気が済まなくなって「罵倒や批判」構ってちゃんを始めるんだなあって思う。

 

私は普段は理想の未来を創造することに夢中でいて、それを好きな相手と一緒にやってきている。「一緒にいれば大丈夫」となんかよくわからないワードを信じてきたんだけど、相手は未来向かうためにわたしという存在が必要で必須だと言う。ゴールが二人で居る未来だから。

だけど私は相手に「恋愛」として私を好きになって欲しかった。その私が思う「恋愛」という感情がないならあなたを要らない!と私は拒絶して、その後は私の思い通りにならない相手が憎くて哀しくて罵倒や批判をしまくりたくなりました。

 

相手は二人で一緒に歩んでいってゴールを目指したい。

私は「愛して欲しい」

 

このズレ、解るかなぁ…。

相手は一緒に頑張っていこう!って思ってるのに、二人で並んで未来に向かう姿を視線は追ってるのに、私はコッチを見てくれてない!!!と相手にも同じ想いになってほしくて、相手に執着と支配をしようとしてる状態。

相手が「恋愛」を拒絶するのは、私が相手に求めてしまうのは、この執着と支配こそ「恋愛」だと思ってるからなんだ…って今コレ書きながら気がついた(笑)

 

「執着と支配」の水の時代から「変革と自立」の風の時代へ。

同じゴールを目指す、それぞれのやり方を認め合って個々の自立した精神で協力しあうことが今時代に起きてる課題なんだと思う。

 

これは政治vs社会にも言えること。政治が悪い!と言うのは良いとおもうけどそれじゃ何も変わらない。自分たちでなんとかする方法を国民それぞれが考えてやっていけばいいんだよ。自分のできることをね。

 

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